私も人から教えてもらったのですが、オクラのニンニク焼き美味しいです。
材料
オクラ 5~6本
ニンニク 大きめの一かけ
塩
油
作り方
ニンニクをみじん切りにして油で炒めます
香りがしてきたらオクラを入れて、ニンニクが色づくまで炒めます
塩少々で味付けします
皿に盛ったらニンニクを残さずオクラの上に乗せます
このニンニクが堪らなく美味しいです。これだけ作ってご飯の上に乗せて食べてもいい
かも。オクラのほかにもキノコとかもおいしいと思います。
私も人から教えてもらったのですが、オクラのニンニク焼き美味しいです。
材料
オクラ 5~6本
ニンニク 大きめの一かけ
塩
油
作り方
ニンニクをみじん切りにして油で炒めます
香りがしてきたらオクラを入れて、ニンニクが色づくまで炒めます
塩少々で味付けします
皿に盛ったらニンニクを残さずオクラの上に乗せます
このニンニクが堪らなく美味しいです。これだけ作ってご飯の上に乗せて食べてもいい
かも。オクラのほかにもキノコとかもおいしいと思います。
もう30年以上も前の事ですが、当時親が離婚したりなんや
かんやであまりやる気のない子供でした。高校の時は友達
が入る部活にくっついて合唱団に入って毎日毎日歌ってま
した。
それはそれで、たいへん楽しゅうございましたが、本当の
ことを言うと実は陸上部に入って走りたかった。毎日毎日
走りたかった。走ったりハードルを飛び越えたり、幅跳び
したり、いろんな事したかったよ~
その当時は、体が弱くて二の足を踏んでしまいました。
やる前から諦めるなんてバカだったなと思ってます。
ずっと気にしてなかったのですが、お正月の駅伝を見てな
んか思い出しちゃったんですよね。
神様が一度だけ戻してくれるとしたら、高校生に戻れると
したら、陸上部に入って毎日走りたい~
実はまだ読んでいる途中なのですが・・・
通っている接骨院の先生に薦められて読んでみようと思い楽天で購入しました。
その先生の話はとても興味深くて行くのがとっても楽しみでした。
今はもう行っていないんですが・・・
この本は1986年に発売され実に38年前のことなんですが、こんな文章を見つけました。
日本の自立化を目ざした田中政治
1972年7月に誕生した田中新内閣。そしてそれを率いる「コンピューター付きブルドーザー」とまでいわれた田中首相の、あのすさまじいエネルギーの秘密が、この日本自立化へと燃え上がる意志であった。
田中内閣は国際ユダヤ資本に挑戦した
1973年7月、田中首相は資源エネルギー庁を発足させ、海外石油開発のために、イギリスの大メジャー、ブリティッシュ・ペトロリアムが持っていたアブダビ海洋石油の株の2.5%を買収した。これがまずユダヤ系メジャーの怒りを買うことになった。
田中被告はロッキード事件を政治権力闘争の一環として受け止め、自分はその犠牲者だと位置づけて発言している。つまり仕掛けられた罠にはまったのだと。マスコミ、世論の集中砲火の中で、ただ「政治とは汚いものだ」ということだけが一般の人々頭に染み込んで行った。
これは第一章の一部を抜粋したものです。
まさに詳しいことは何もわからずとも「政治とは汚いものだ」と私の頭にも確かに染み込んでいました。これがメディアの力なのか。
そういえばテレビや新聞に書いてあることが必ずしも事実とは限らないんだと教えてくれた人もいたんですが、そんなことがあるならいったい何を信じたらいいの?と思ってしまっていたんですよね。
コロナがあって報道と事実が必ずしも同じとは限らないことがなんとなくわかってきて、でもだからと言ってこれからの生活が変わるわけじゃない。
このまま私は私の人生を私らしく過ごしていけばいいんだよねぇ
お題「これまで生きてきて「死ぬかと思った」瞬間はありますか?身体的なものでも精神的なものでも」
あれは平成24年2月のある日、法事からの帰り道です。雪国育ちの私たち夫婦はとにか
くホワイトアウトを舐めていました。いや舐め切っていました。
富良野から札幌まで桂沢を抜け、岩見沢、当別を通りあいの里から札幌へ入る。
いつもの通りの道順で天気は、風もなくただ雪がはらはらと舞い散る、そんな雰囲気で
よかった、これなら楽勝と高をくくっていた。
桂沢を過ぎたあたりから、風が付いてき視界が悪くなってきました。数々の悪天候を運
転してきた私たち夫婦はちょとくらい前が見えなくても、まあこのくらいは平気平気と
余裕しゃくしゃくでした。
ところが、だんだんと視界が悪いどころか全く見えなくなってきて、雪の降り方が激し
すぎて路肩も道路も反対車線も、わからなくなってきて、私は助手席の窓を開けて確認しながらの走行でした。
田舎道の一車線の道を埋まって動けなくなっている車、トラック、私たちは顔は真っ青になりながら、頭の中は真っ白でした。
一瞬、子供達にはもう会えないかもしれない、と思いました。
そこからは、道路から落ちることなく反対車線の車にぶつからないように車線か
らはみ出ないように唯々もう必死でした。旦那の限界がきて私にハンドルを任されてか
ら暫くして、なんと消防車が私達の車の前に割り込んできたのです。ハザードをつけて。
助かった~と思わず叫びました。
そして無事に帰ってきたわけですが、あの時のことは死ぬまで忘れません。
子供達にこのことを話しても笑われるだけですが、私たち夫婦は冬は車では遠出はしな
いと誓い合ったのでした。
お題「色々言われる時代だけどさ。介護職集まれ!爺ちゃん婆ちゃんに言われてなるほどなーと思った事ポジティブ編。流石だよ、昔の人は。」
今83歳かな・・・あたしゃ辰年生まれて言ってたから。
旦那さんの話ばっかりするおばあちゃんがいて、恋愛結婚だという。
すっごくいい男なんだって。
その代わり女とっかえひっかえだったらしい。
驚くことに、「そんなことは、どうでもいいんだ」と。結局は戻ってくるんだと。
「私が好きなんだからいいの。私が惚れてんだから、戻ってきたらそれでいいの」
さっすが、心がおっきい。